池は「姿見の池」と呼ばれています。
京の政争に破れて、大宰権帥(だざいごんのそつ)として大宰府に赴任した道真に従った役人の一人に三澄左近将監時遠がいた。時遠は、太宰府に着任して間もなく、肥前国瓜生野(現在の鳥栖市元町付近)に隠居しました。
時遠には子供がいなかった。憐れんだ道真は、五男・長寿丸を時遠の養子にしました。
養子に出したとはいえ、わが子は可愛い。道真は時折、瓜生野を訪れ、長寿丸に会っていたといいます。そのとき、道真が腰を掛けた石が「腰掛の石」、長寿丸に与えるための似顔絵を描くため自分の姿を水に映した池がこの「姿見の池」とされています。
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