安永年間(1772-81年)に井田村の「間川政兵衛」により建立された観音堂になります。その後、伊賀昌光寺五世「仰信」の夢想により幡豆郡近寄(現在の西尾市近寄町)の仏寿山法厳尼寺の前立像であった千手観世音菩薩像を井田観音堂に移されたといいます。
三河観音霊場三十二番、西条吉良観音二十四番の札所に選ばれている浄土宗鎮西派の寺院になります。元々は荒川城主である荒川氏の家臣「中神氏」の屋敷跡になると言われ、境内には荒川義広と家臣である中神氏の墓石が残されています。
観音堂は井田町字南七十四番地に在り。岩津町九品院の末庵である。安永年中の創立にして、当町の人「間川政兵衛」の開基である。縁起によれば本尊木造千手観世音立像はもと幡豆郡寄近法厳尼寺本尊観世音菩薩の前立像であったが、伊賀昌光寺五世仰信和上の夢想によりて此地に移したるものであると。
昭和四年発刊「(旧)岡崎市史」第七巻より