
(English)
When talking about the Watarase Yushuichi (Watarase Retarding Basin), we cannot forget TANAKA Shozo.
TANAKA Shozo (1841–1913) was a Japanese politician and social activist. He is considered to be Japan's first conservationist.
He is most well known for his advocacy of rural residents around the Watarase River whose health were negatively effected by pollution from the Ashio Copper Mine in the 1880s.
Here is nearby TANAKA's birthplace. The cache doesn't have a pen. Please bring your own pen.
(Japanese)
ここは渡良瀬遊水地ではありません。
渡良瀬遊水地を語るうえで、田中正造を忘れることはできません。
田中正造は日本初の公害事件と言われる足尾鉱毒事件に奔走した人物であり、明治天皇に直訴しようとしたことで有名です。
正造は1841年(天保12年)にこの地で生まれました。
正造が衆議院議員となった1890年に渡良瀬川で大洪水があり、上流にある足尾銅山から流れ出した鉱毒によって稲が立ち枯れる現象が流域各地で確認され、騒ぎとなりました。1891年以降、帝国議会でこの鉱毒事件に関する質問を行い、足尾銅山では公害を低減させる装置を付けるなどが行われましたが、その効果はあまりありませんでした。
1900年には、「川俣事件」と呼ばれる農民らが東京へ陳情をに赴こうとした途中の現在の群馬県明和町川俣で警官隊と衝突し、多数の農民が逮捕される事件が起こりました。
さらに1901年には正造が明治天皇に直訴を行ったものの失敗に終わりましたが、これにより直訴状の内容が世間に広く知れ渡ることとなりました。
1902年には渡良瀬川の下流に遊水地を作る計画が浮上しますが、計画予定地となっていた現在の埼玉県加須市北川辺地区の住民の反対運動に正造も加わり、計画は白紙となりました。
翌1903年に谷中村(現在の谷中湖周辺)が遊水地になる計画が浮上し、正造は谷中村に住むようになります。その後、正造と国・県との駆け引きが続けられますが、1906年に谷中村は廃村、1907年に政府は土地収用法の適用を発表し、住民に立ち退くように圧力をかけます。正造は強制退去の当日まで住み続けて抵抗をします。
1908年に政府は谷中村全域を河川に指定し、1911年には旧谷中村の住民の北海道サロマベツ原野への移住が開始されました。
その後も精力的に演説を行っていましたが、1913年に現在の佐野市で亡くなりました。
ペンはありません。ご持参ください。