慶応2年(1866年)の横浜大火の後に諸外国との間に締結された約書に基づき、海岸通りから直線に吉田橋まで幅員60フィート(約18メートル)の街路が計画され慶応3年(1867年)に完成しました。その広い道路を外国人たちの珍しい馬車が音高く行き交い、やがて日本人が経営する東京通いの乗合馬車の発着所が吉田橋脇に構え、いつの日か「馬車道」と呼ばれるようになりました。
明治5年(1872年)には日本初のガス灯がともると、明治7年(1874年)から並びはじめた露店のガス灯とともに、その青い光が街路樹の緑に映じて文明開化のムードをかもし出し、馬車道は異国情緒あふれる繁華街として衆人の足を誘うようになりました。
「馬車道」という言葉の響きはロマンチック、エキゾチックな街の雰囲気が容易に想像することができるため、駅名称となりました。
