時は戦国時代、武田信玄は川中島の合戦を繰り広げていた時代です。川中島の合戦で、留守にしている間に他国から侵略されぬ様、相模、駿河と三国同盟を結びます。しかし駿河の国の領主は日夜、遊興に明け暮れていた為、信玄の留守中に駿河の国が他国から侵略されぬかと危惧します。そして信玄は駿河の国を支配下におき、侵略してしまいます。これにより三国同盟は決裂してしまいます。
三国同盟が決裂した甲斐の国は駿河と相模から塩の輸送を止められてしまいます。
武田家に対し、「塩止め(塩の輸出禁止)」 を行いそれを周辺諸国に要請された信玄は塩水を捜させます。見兼ねた上杉謙信は「それで一番困るのは甲斐の国の民である。そんな事は出来ない」 と言い、逆に甲斐への塩の輸出を推奨したと言います。
敵を援助する事を 「敵に塩を送る」 と言うのは、これが元になっています。
国中で塩水のでる源泉を捜させた信玄ですが、ここヨシャーの温泉に辿り着きます。
キャッシュにはペンが入っていません。また冬季は道路が閉鎖になることがあります。ゲートから歩いて行けない事はないですが推奨は出来ません。自己責任にてお願いします。