大正元年(1912年)10月29日午前8時半ごろ神威岬灯台の草薙灯台長夫人及び土谷補員夫人とその二男(三歳)が天長節(天皇誕生日)のお祝いの品物などを買い出しに余別市街へ行く途中、ワクシリ岬付近で荒波に足をさらわれ海中に落ちて溺死した。
ワクシリ岬は上は断崖絶壁、下は波打ち際の険しい地形で、なぎや干潮の時はわたることができるが、そうでないときは容易に越えることのできない難所である。
土地の人々はこのような海難事故が再び繰り返されないようにするため、大正3年にトンネルを造る計画をたて着工した。
開削作業は岬の西側と東側の両方から同時に始められたが、測量計画の誤算か開削技術が未熟なためか、トンネルの中央で食い違いが生じ工事が頓挫してしまった。ところが村人たちが犠牲者の供養をふくめ、双方から念仏を唱え鐘を打ち鳴らしたところその音で掘り進む方向がわかり工事を再開することができたのである。
このようにして大正7年11月8日に開通となり、以来「念仏トンネル」の名がある。
また、この全長60メートルのトンネルは割合低く中が真っ暗闇なため、「念仏を唱えながら通ると安全である」と言い伝えられている。
(神威岬石碑より引用)
国定公園「神威岬」の看板を目印に海岸へ降りてトンネルを目指す。
海岸沿いは落石と海からの波、風への注意が必要。
安全のため頭部の保護、天候の事前確認を怠らないように。
岸壁に沿って進めば道に迷うことはないだろう。
やがて全長60mの手掘りトンネルがあなたの前に口を開く。
その先の光景は自らの目で確認してほしい。
普段は見ることのできない、海岸からの「神威岬」をご覧あれ。
※キャッシュはレギュラーサイズ。ペンをお持ちください。捜索時も落石にご注意ください。