本郷三丁目のかねやすは、元禄年間に小間物屋として開業しました。享保15年の大火事の復興の際に、中山道のかねやすより南側の建物には塗屋・土蔵造りを奨励し、屋根は茅葺きを禁じ瓦で葺くことを許した。そのため町並みがここで一変し、江戸の北限と認識され「本郷も かねやすまでは 江戸の内」の川柳が生まれました。御府内の境界とされた朱引や、墨引はもっと外側にありました。
日本橋から北上し、昌平橋を渡って神田明神門前を通る中山道を、西に向かう旅人の見送りはここまでということも多く、谷底にあたる本郷三丁目交差点付近を境に見送り坂・見返り坂とよばれていました。
近年かねやすは洋品店でしたが、現在は営業していません。文京区教育委員会の文化財として、公開座標に銘板があります。
ファイナルキャッシュは、以下の座標にあります。画像の数字から計算してください。
N 035° 41.(A+4B+C-5)' E 139° 46.(D-2)'