工場の渡り廊下
これは、私の母が最初に勤めた会社で体験した時のお話です。
1959年11月、ある会社の無線通信機器の量産工場が小山市に開設されました。
数千人規模の大工場で最盛期は毎朝小山駅から出勤に向かう社員が工場まで途切れなく列をなしてたそうです。
私の母も小山市での大量雇用ということで、工場開設の翌年に社員採用されました。
入社して1年が経ち仕事に慣れた頃、総務?に配属された母は関係部署とのやり取りで工場内を行き来することが多かったそうです。
ある日工場内にある渡り廊下で、小学生と思しき女の子を見かけたそうです。
最初に見かけた際は、遠目に廊下の先で何か遊んでいる様子だったとのことでした。
当初は部課長クラスの人たちがお子さんを見学にでも連れた来たのではないかと考えていたそうです。
その後も何回か見かけたようですが、毎回決まった渡り廊下の反対側を遠目に横切る姿だったそうです。何度目かの目撃後、その後を追いかけてみるも、何処にいったのか姿は消えていたそうです。会社の同僚や先輩に少女のことを聞いてみても誰も知らないとのことでした。
一か月程が過ぎ、しばらく少女を見かけることもなく忘れかけていた頃、また渡り廊下に彼女は現れました。
その時は花柄のワンピースで渡り廊下の真ん中で外を眺めていました。母は彼女の後ろを通り過ぎながら横目でちらっと見たところ、その子も母の方を見返し微笑んだとのこと。可愛い顔をした小学校3年生くらいの女の子だったそうです。
何歩か歩き進んで、何でこんなところにいるのか、声をかけてみようと振り向いた瞬間・・・・・・女の子はそこにはいなかったそうです。
母も予感はしていたようですが・・・・やはりこの世の存在ではなかったようです。
ただ母はチラッと見かけたその顔に見覚えがあったようで、その日家に帰るなり昔のアルバムをいくつか捲って確認したそうです。
やっぱりそうか・・・・あの子は高校時代に亡くなった仲の良い友達で、失恋が原因で自殺してしまった〇子ちゃんだと。
母は言っておりましたが、生きていた時代の一番楽しかったころの姿で彼女は会いに来たんだなと・・・。
高校生時代にどこかのスタジオで撮った写真を母は見せてくれました。
母とその子が二人で写った写真で、仲の良いことが良くわかる屈託のない素晴らしい笑顔でした。
この話を聞かされたのが私が中学生のころだったかと思います。
母が亡くなってからこの写真を幾度となく探しましたが、結局見つけることは出来ませんでした。
写真は見つからずとも話が凄く印象的だったので、いまだに二人の笑顔をはっきりと思い浮かべることができます。
生前はつらいことが多かった二人ですが、今はきっと楽しい日々を過ごしていると、私は信じています。
※ペンをご持参ください。